生活 じいじ&ばあばホームへ

最近テレビで知りましたが、子供時代のおやつって楽しみだけではく、身体の成長にも必要なものなのですね。
私達の子供時代には、今のようなおいしいおやつはありませんでした。
米のとぎ汁に少し甘味をいれたものを牛乳だと聞かされて飲んでいました。本物の牛乳を飲んだときは何ておいしいんだろうと思ったのを覚えています。
澱粉を取ったあとの芋カスもおやつとして食べたのを覚えています。
今のお菓子は本当においしいですね。しかしながら、現代病の原因となっていることは否めませんが・・・

今は学校に行く楽しみはお弁当と答える人も少なくないと思いますが、昔はそのお弁当の時間が悲惨なものでした。
お弁当のご飯は、白いお米だけではなく、ジャガイモやさつまいもが混じっていました。おかずに梅干、今の梅干は甘くておいしいが、昔の梅干はすっぱかったです。みそを油で炒ったものもご飯のおかずとして入っていたことがあります。おかずとは言えないようなものばかりですが、自分はまだ恵まれていたと思います。
お弁当を持って来れない人もたくさんいましたので・・・。家庭の事情がいろいろあるにもかかわらず無情にも先生はその子供に「何故弁当を持ってこないのだ?」と問いかけました。子供はけなげにも「腹が減らないから」「もう食べた」などと涙ぐましいうそを言っていたのを覚えています。今思えば、子供がお腹が空かないわけはありません。食べるものが無かった時代であり、貧しくて食べ物を買うことができない家庭もたくさんあったからなのです。小さな弟や妹を背負って学校に来ていた友達もいました。今では考えられないことです。

また、今は何でも売っているので自分で作る機会も無いと思いますが、昔は冷蔵庫も無かったし、野菜が年中あるわけではないので、自分達で保存食をつくったりしていました。
秋に採った大根の葉や春に採ったワラビ・ゼンマイ・フキなどを乾燥させて食べていたものです。
味噌や醤油などが自家製というのは当たり前だったと思います。
今の時代から見ると昔はヘルシーで贅沢と思われる方も多いかもしれませんね。
逆に昔は物が無いだけに、その特質を知り、工夫するということが必要だったのでしょう。

食べ物だけではなく、生活に必要な日常品についてもいろいろ変化がありました。
ビニールやナイロンなどという素材が出来たときにはびっくりしました。しかも石油から出来ているというではないですか。それまでは新聞紙や竹の皮など自然のものを入れ物にしていたので、本当に便利になったと思ったものです。しかし現在それがかえって自然に帰らぬものということで問題になっているのも事実です。

蓄音機は今や博物館にでも行かないと見れないでしょうが、昔もみんながみんな持っていたわけではありません。けれども音楽を聴きたくて、レコードを買います。そして、蓄音機のある家へ行って、かけてもらっていました。テレビが発売されたときもそうでした。みんなテレビを持っているわけではないので、テレビのある家へ遊びに行ったり、電器屋さんの前に人だかりができたこともよくありました。

余談ですが、1ドル360円の時代の観光バスの中でバスガイドさんがこんなことを言っていました。
「このバスの中に180円のものがありますが、何でしょうか?」答えは、「ハンドル(半ドル)」・・・。
今やドルは常に変動しているので、このようなギャグは通用しなくなってしまいます。

生活に最低限必要なものとして、「衣・食・住」が挙げられます。

私の子供時代は服は着ることができればそれで良く、まず食べることが一番でした。そして食べるためには、仕事をしなくてはなりません。仕事をして食べて、それができれば十分でした。家などは立派なものではなく、雨露さえしのげれば良いというような時代でした。

その時代を知っているので、今の世の中を時々不思議に思うことがあります。
立派な家を建て、ブランド品で身を固め、見た目は裕福で幸せそうです。
しかしながら、実情は住宅ローンの返済に苦しみ、食べるものにかける費用を切り詰めたりしています。また、食べるものがあったとしてもその大切さを実感することができないために粗末に扱うような時代となっているように思います。無かったところからあることの大切さを感じることはできると思いますが、最初からあるものが無くなったときになって初めてそのありがたみを感じたとしても、その時はもう遅いのではと思います。

今の時代に産まれてきた子供達は最初から恵まれているため、感覚や価値観が異なるのも当たり前だと思いますが、当たり前ですませることが出来ない事態が起こりかねない世の中となっているのも事実だと思います。

例えば、昔は質屋へ物を入れるのは、生活のためであり、質に入れるものが無ければお金を借りることはできませんでした。ところが今はクレジットや消費者金融など簡単に、まるで自分のお金かのように引出すことができます。借りるのは簡単ですが、返していくのは大変なことです。たとえ、見た目が裕福で何も問題ないように見えても、実際はゆとりがないのかもしれません。そして物が満たされて行くと共に、心が貧しくなっていくのではないかと思います。

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