貧しかった時代 |
小学校に入った時、うれしかったね。 でも、今に比べたら、文具っていっても、何でもそろっているわけでもないし、教科書でも全生徒に行き渡るわけでない。 教科書はどうするかというと、くじ引きでした。 私の所は、くじ引きがはずれ、くじに当たった人から教科書を借りて、今でいう広告の裏だね。 それに教科書どおりに、母が書いてくれたね。 長靴もクラスで何足もなく、これもくじ引き。 鉛筆は今の割り箸より悪かったね。 画用紙はダンボールの色みたいだったね。 着る物は、ツギのあった物、このツギも母が夜11時頃までかかって、つくろってくれたんだね。 母は、朝3時頃には起きていたね。 それで、ごはんは、ストーブの釜で炊いたり・・・。 ごはんを炊くには、かまどを使っていたね。 家だって立派なものじゃなかったね。今でいう風通しのいい小屋だね。 六畳間位の大きさの所に5,6人は住んでいたね。 木や板でまわりを囲み、ストーブをつけても熱が通るように、風通しがよかったね。 冬の夜なんかは、寝てても息でふとんのヘリが白くなっていたね。 子供の仕事といえば、水くみ。 バケツをてんびんでかつぎ、これが4、5回。 まき割り、畑仕事、ふろ掃除、誰に云われなくても、それが子供たちの出来る事であれば自分からやったもんだ。 荷の運搬は馬車だったね。 近所の家には玄関にムシロをぶら下げていた所もあったね。 小遣いは、私は、もらった事はなかったね。 こづかいといっても、子供は働く方の「子使い」だったね。 それでも何も不満などなかったね。 遊びは、縄跳び、女の子はゴム跳び、おはじき、男の子はメンコ。 寒いときは、外で、おしくらまんじゅう、互いに押し合い、体をあたためたものだ。 お菓子なんてぜいたくな話。 ガムらしきもの・・・。 それは、小麦粉を少々練った後、水で流すの、繰り返しで、ねばったのが残る。 それをガムだといって噛んだもんだ。 お菓子は駄菓子屋で5円位。 これも時たま、お小遣いをもらえる子供はこれで飴を買ったりしたんだね。 30年頃にはブロマイドとか売っていて、これもゆとりのある人が買っていたね。 お金は一ケ月生活していくだけでも大変だったので、店から買い物通帳を出してもらい、これで個人の店から借りて生活していたんだね。 月給は6〜7千円位、一ヶ月1万円以上食べて、入金は4,5千円だろうね。 実際借りてもその後の支払いに困ったんだね。 本当に生きるのに精一杯だったんだと思う。 米のある家では、米一升を売って、おかずと交換したんだね。 道具も自分なりに工夫して造り、なにしろ力仕事が多かったんだ。 農家では、クワの大きな物を馬で引き、田んぼを掘り、稲刈りは、カマで人間が刈ったんだね。 今は、機械で田をおこし、田植えをして、脱穀機だとか便利になったもんだ。 道路工事でも、昔は、ツルハシ、スコップ、今は、ブルトーザー、ショベルカーと本当に便利になったもんだ。 自転車、車は、金のある人、トロリーバスが走ってたね。 生活に困った家は、子供を奉公に出していたね。 海を渡る時、連絡船で「蛍の光」のメロディが流れて、もう二度と逢うことはできないのかとか、夢とか、淋しさとか、色々な人生模様があった。 時代は変わった。 |
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