外に出て、心を開く −非難する人がいても− |
人は他人の不幸や失敗は喜んで聞いたり、話したがるものだ。 あそこの人はどうの、こうの、こっちの人はどうの、こうの、と人の噂や非難をする。 人を非難する人は、自分はまともで他人はおかしく見えるのだろう。 人を非難する人は、他人の心の中へはいっていくことが出来ない。 他人の心の中に入っていける場合は、心にすきがある人でないと入っていけない。 例えば、あの人は挨拶もろくにしないと非難するが、非難している本人からその人に挨拶をしていないことがある。 自分のことを棚にあげて、人を非難しているのである。 自分から心を開こうとせず、相手から心を開くのをただ待っているのである。 相手が心を開かなければ非難をする。 なんと心のせまい人だろう。 このような人がいると、気軽に外に出て散歩することもできなくなってしまう。 ただ散歩をしていても、「あの人は今どこに行くんだ」とかジロリと見る目つきが違う。 私は、こんな身勝手な人間、老人にはなりたくない。 他人はおかしくて、自分だけはまともだと思っている人もたくさんいる。 推測で話をし、それを聞いた人はそれを信じ、いかにも自分の目で見たかのように話に輪をかけて、平気に人の心に傷をつける人がいるのも事実だと思う。 このような生き方をしている人の前を通ったり、近所にいたら、生活していくのにも大変な思いをするだろう。 老いていき、退職したり、普段から家にいるようになると、今まで会社へ行っていて知らなかったそんな嫌な思いをすることもあるだろう。 そして外に出ること自体が嫌になることもあるだろう。 でも、まずは外に出て空気を吸って、新しい物を発見して、老いて行くことや、訪れる明日を楽しみにして、1日1日を楽しく生きていくのがいいと思う。 外に出て、もう一度自分やまわりを見つめてみれば、もっと心が豊かになるだろう。 世の中には、人の気持ちを無視したようなことを言う人や、勝手に人のことを決めつけてまるで悪者かのように話す人など、心の狭い人がいる。 そういった人は、仲間がいないと、ひとりでは行動をとることができない。 そういう仲間に集まる人はやはりさびしい心をもっているからだろう。 人を非難する人は逆に人から非難されていることは知らず、自分達だけがまともだと勘違いしている。 悲しいことに。 |
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