もう一度故郷を見せたかった じいじ&ばあばホームへ
今から何十年も前のこと、貧しい8人兄弟と父母の10人家族のお話です。

家族が10人もいれば毎日暮らして行くだけでもとても大変なことでした。

一番上は10才、一番下は乳飲み子まで、まだまだ育ち盛りの小さな子供ばかりでした。

ちょうど1年前頃より、父は身体をこわしてしまい、病弱の身となってしまいました。
母の内職だけで、10人家族の生活を支えていくことはどう考えても無理な話でした。

当時は食べるものに乏しく、着るものもあまりなく、住まいといえば、こんなところによく住んでいたのかと思うほど隙間だらけのバラック小屋のようなものでした。
当時はそのような住環境であっても子供達が風邪を引くこともあまりなく丈夫でした。

子供達の教育といっても、受験だ、大学だ、という時代ではなく、小学校に行くことさえ大変な時代でした。

お金があり、生活に余裕のある家庭の子供達は違いました。
きれいな服を着て、大学にも行くことができたのでしょう。

貧乏な家庭に生まれた子供達は、自分達の洋服や教育よりも家族の生活のためみんなで協力することが先でした。
それでもみんなで力を合わせて生活していくことに、何の不満もありませんでした。
まわりにはこのような家庭が多かったためでしょうか、これが普通だと思っていました。

しかし、病床にふしていた父が倒れてから3年の月日がたった時、あの世へと旅立ってしまいました。
父が旅立つ前日は、母や子供達に「すまん」と一言言い、そのまま静かに、目を閉じました。
そして、二度と目を開くことはありませんでした。

父が亡くなってから数日後、一番上の兄ちゃんは14才になりました。
父も亡くなり、母一人に負担をかけ、兄弟達にかわいそうな思いをさせることをふびんに思い、兄ちゃんは町に奉公に出ようと決心しました。

それから町に奉公へ行く日も決まり、兄ちゃんは兄弟達を集めて話しました。
「兄ちゃんは町で仕事が見つかったから、これから町へ働きに行くことになったよ。兄ちゃんがいなくなっても兄弟仲良くするんだよ。みんなで力を合わせて母さんのこと手伝ってあげるんだよ。」
そう言うとみんなの頭をなでました。
「兄ちゃんは一生懸命働いてくるからね。」と幼い兄弟達を安心させるため、そして自分自身に気合をいれるためにそう強く言いました。
そして出発の前日、訪れる兄ちゃんとの別れの寂しさを紛らわすかのように、みんなで夜遅くまでいろんな話しをして過ごしました。

やがて出発の朝がやってきました。
当時はそれほど交通機関が発達しておらず、歩いて20kmくらいいったところにようやく駅が あり、しかも1日に3本ほどしか列車が通らないような状況でした。

兄ちゃんは弟や妹たちに「母ちゃんに心配かけたりするんじゃないぞ。大事にしてあげるんだぞ。」と言って聞かせました。
それを聞いた弟や妹たちも「みんないい子だから安心してね!」と兄ちゃんを心配させないように精一杯明るく振舞いました。

それを見ていた母は健気な兄弟達の姿に心を打たれ何も言葉をかけることができませんでした。
そしてつまる思いからやっと「兄ちゃん、ごめんな。」と母は一言言いました。

兄さんが旅立とうとすると小さな兄弟達は「お兄ちゃん!」「お兄ちゃん!」と走り寄ってくるので、思わず泣きそうになったがその気持ちを振り切るかのように怒ったような顔で「もういいかげんにしろ!」と後ろを振りかえることなく旅立って行きました。

そして2ヶ月ほどして、奉公に出ている兄ちゃんから仕送りが届きました。

母も兄弟達も兄ちゃんへの感謝の気持ちでいっぱいでした。
兄ちゃんの仕送りのおかげで、弟や妹たちは学校にも行くことができました。
と言っても、2年間とか、4年間とかわずかの間しか通うことができませんでしたが・・・。
そのため、学校での勉強はそれほど身についたわけではありませんでした。
しかし、兄弟達の心にはすばらしい兄ちゃんからの教えや優しさが自然と身についておりました。

そんな兄弟達のうわさは、町中にひろがり、この家族は立派だ、お手本だ、と褒めたたえました。
お金がなくて、子供に十分な教育をさせることができなくても、心は立派に育つものだと、母は兄弟達を誇りに思いました。

そして兄ちゃんが奉公に行ってから4年ほど経ちましたが、兄ちゃんからの仕送りも毎月順調に送られてきて、家族はみんな兄ちゃんに感謝していました。
しかし兄ちゃんは旅立ってから一度も帰ってきたことがなかったので、それだけが気がかりでした。

その頃兄ちゃんも18才になり、仕事も大分覚えはじめていました。
仕事をもっと覚えて、たくさん仕送りしなくてはと、兄ちゃんは毎日毎日一生懸命に働きました。
そして毎日毎日無理をして働いていたため、身体を壊してしまい、それから2ヶ月後帰らぬ人となってしまいました。

実は、兄ちゃんはそんな自分の行く末を予感してか、4年ぶりに家族の元へと帰っておりました。
4年ぶりに会った兄ちゃんの身体は見るからにやせ細り、顔もやつれていました。

そんな兄ちゃんの姿を見た母は、「すまんねえ、苦労かけてしまって。」と涙をこぼしました。
兄ちゃんは「いや、いや、ぼくこそ、こんな身体を見せてかえってみんなに心配かけてしまって、すまない。」と謝りました。
母は「何も謝ることはないよ!兄ちゃんのおかげで皆今日まで生きて来れたんだよ。みんな毎日兄ちゃんに感謝してるよ。」と兄ちゃんを励ましました。
その母の言葉に続けるように、弟や妹たちも「兄ちゃん、ありがとう!」「兄ちゃん、ありがとう!」と口々にお礼を言いました。

そしてみんなは兄ちゃんの身体をいたわるように「兄ちゃん、せっかく家に帰ってきたのだからゆっくり休んでいってね。」と言いました。
兄ちゃんも「そうだな。少し身体を休めて、また頑張らないとな。」
「うん!ぼくたちも頑張るよ!」と兄弟達も元気に答えました。
「よしっ!兄ちゃんと約束だ!」
そして母と兄弟、兄ちゃんは固く手と手を握り合いました。

2日ほど家で休んだあと、兄ちゃんは再び奉公先へと旅だっていきました。
そして、兄ちゃんが帰らぬ人となってしまったのは、それからわずか1週間後でした。

その知らせを聞いた母と兄弟達は悲しみでいっぱいになりました。
毎日毎日悲しみに暮れ、何も手につかないような状態でした。

しかし、母はこのまま悲しみに暮れていても兄ちゃんが喜ぶはずがないと思い返し、また一生懸命働きはじめました。
小さな兄弟達もそんな母の姿を見て、一生懸命に手伝いをしました。

そうして数十年の月日が過ぎました。
母もすっかり年老いてしまい、とうとうあの世へ旅だってしまいました。

その時には、兄弟達も大きくなり、ちゃんと母の葬儀を出すことができました。
そして動かない母の唇に初めて赤い紅をさしてあげました。
兄弟達は口々に「母さんって、こんなにきれいな顔をしていたんだね。」「ほんとだね、口紅をつけたのは今日が初めてだったね。」と目をうるませながら語っていました。

そしてまもなく兄弟達は、それぞれ家庭を持ちました。
大人になった兄弟達は、みんなでお金を出し合い、父と母そして兄ちゃんのお墓をたてました。
お墓参りにくるたびに、苦労した父、母、兄ちゃんのことを思い、その教えや優しさを、自分達の子供達にも伝えました。
そして、楽しかったこと、うれしかったこと、くるしかったことなどをみんなで語り合いました。
父ちゃんは、苦労苦労の毎日で人生を終えました。
母ちゃんも、苦労の毎日だったのは子供ながらに覚えています。
せめて一度くらいゆっくりと温泉にでも連れて行ってあげたかったと思います。
兄ちゃんは・・・小さい頃から何一つ楽しいことなどなかったでしょう。
・・・兄ちゃんばっかり、本当に申し訳無いと思っています。

兄弟達は、決してこの苦しさを忘れずに、毎日感謝する気持ちを持って暮らしています。
家族と一緒に、毎日を楽しくに暮らせることがどれだけ幸せなことか、感謝する気持ち以外の何物でもありませんでした。

ただ、できることならば、苦労した父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんに時代が変わり少し豊かになった故郷を見せてあげたかった・・・。

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